乳が覚醒するまでの5日間。

今のところ、ほとんど母乳栄養で息子を育てている。ミルクを作って飲ませるのは旦那が授乳する時だけで、わたし自身はしばらく作っていない。

母乳は息子の腹を満たせる程度に生産され、乳頭混乱も起こさず。乳腺炎になりかけのような不穏な雰囲気があっても頻回授乳で治って、わたしの乳はとにかくよくやってくれている。

 

しかし、これだけ優秀な両乳も、産後入院中はまったくやる気を見せなかった。

まさか退院直後に乳が覚醒して母乳育児になるとは思わなかったほど。入院中の24時間プロが側にいる状況をまったく生かせず、母乳育児についての知識が薄いまま退院して、慌てて調べ倒してそこから手探りでなんとか今日までやってきた。

 

元々、特に完母に対する強い想いはなかったし、むしろ身内に預けたり保育園などを考慮すると哺乳瓶拒否やミルク拒否は困るなと思っていた。

妊娠中も後期に入るまではなんの音沙汰もなく、やっと何か出たと思ったら針先のような一粒が滲むくらいが数回あっただけ。実母もあまり出が良い方ではなかったらしいし、自分の乳から母乳が潤沢に出るという想像も出来なくて、出なくても落ち込まないようにしようと自分に言い聞かせていた。

他については色々調べてシュミレートと言う名の妄想をしまくっていたのに、乳に対しての期待値が低すぎたから、授乳についてや直母での負傷予防なども、正産期に入ってから一応レベルで勉強した程度だった。

 

産後、いざ授乳をしてみて、付け焼き刃でも調べた甲斐があったのか、息子が優秀だったのか(多分後者)授乳自体は難なくこなせた。

母子同室初日に助産師さんに指導される際、ちょっと短めですねと言われて乳首負傷に怯えたんだけど、全く大丈夫だった。

もしかしたら乳首が頑丈だったのかもしれない。(頑丈な乳首って響きが面白いな。妊娠して見た目がもう強そうに進化してるのに、実際強いとなるともう面白がるしかない…)

授乳時のコツの知識は「乳輪ごと吸ってもらう」「下唇がめくれてるのがきちんと吸えてるサイン」「浅吸いは負傷の原因になるから回避」のみっつぐらいしかなくて、それだけはきちんと意識していた。

浅吸いは痛い、ということは軽くでも痛みが出たら浅く吸われてるのだと判断して、すぐ唇の横から指を入れて離れてもらって、咥え直してもらう。

下唇は正直全く見えないのでスルー。乳輪ごと吸えてないかも?という時は乳をつまんで押し込むようにすると、深く吸い込んでくれたのでそうしてみた。

 

吸わせることは問題なかった。

ただ、吸わせても吸わせても母乳は出なかった。

授乳前後に体重を測定、増えた体重で哺乳量を判断して、必要であればミルクを足すように指導されたが、体重はほとんど増えなかった。増減なしだった回の方が多い。

胸が張るという感覚もなくて、助産師さんに聞かれるたびに「(張りは)全くありません」と答えていた。

出ないという想定はしていたので、出ないのに吸わせてごめんね〜!まあヨロシク頼むよ!なんて明るく軽口を叩きながら授乳して、いつ完ミに切り替えるかな?と考えていた。

意外と大丈夫だな。そう思いたくて、自分にも言い聞かせるように、努めて明るい口調で息子に話しかけた。

 

ところが、だ。

退院前夜だっただろうか、胸にうっすらと違和感が出てきた。これが張るという感覚なんだろうか。試しに授乳を試みるものの、ぐっすりと寝てる息子は起きる気配ゼロ。抱き上げて起こして差し出しても、すやすやと眠るばかりで興味ゼロ。

巡回の助産師さんに相談してみると、搾乳してみましょうかと言われた。

 

搾乳。その単語に高揚した。

大部屋に入院していて、同時期に出産した自分以外の産婦さんたちは既に搾乳指導を受けていた。カーテン越しに聞こえるそれを聞きながら、息子に対して申し訳ない気持ちが少しだけ湧いて、毎回それを打ち消すように明るく「出ないよね〜ごめんね〜吸ったら出るようになるらしいよ!」なんて話しかけていた。

本当は、母乳が出ないことを少しだけ気に病んでいたらしい。

吸わせるのが、吸うのが上手くても、出ないんだったら何の意味もない。

 

手搾りの方法を教わって、搾乳デビューをしてみた。初めての搾乳は片方10分かけてもほんの数滴だった。

こりゃ体重増えないわ!息子さんの腹満たせないわ!という現実を突きつけられた気もしたけど、分泌されてる姿がきちんと目視で確認出来たのはよかったと思う。

 

退院の日の朝、また胸が張っていた。朝巡回の助産師さんに話すと、張りの解消の仕方を教えてくれた。しこりになっている部分を軽く乳首に向かって流すように撫でるらしい。

再び搾乳してみた。

滲む程度にしか出ない。ぽたりと落ちるまでに何分かかるか……。

自棄になったたわたしは強引な手に出た。乳房ごとがっつりと掴んで、押し潰すように搾ったら、ポタポタッと一気に数滴に溢れた。

これだ!!!と両方ともに無理矢理搾った。各10分で20ml程度搾れた。今までと比べて雲泥の差である。

その日の一回の哺乳量が40ml程度だったので、これなら半々で混合でいけるのでは!と浮かれた。

(ちなみに乳丸ごと掴むのは「おにぎり搾り」と呼ばれる、乳腺を刺激しないで出し切る断乳時向けの方法に近かった。結構力を入れてたので乳腺を傷付ける可能性もあったし、量を増やしたかったこの頃には絶対やっちゃダメなやつでした…!)

 

そして、退院後。

乳、覚醒。

本当に急に来た。出ないものを頑張って吸ってくれてた息子のおかげでホルモンが分泌され、間違ってた自己流の搾乳で出口が開通したのだと思う。

退院当日、昼過ぎに帰宅した頃には両胸がパンパンに張っていた。

さっそく授乳をしようと腰掛けて……会陰が爆発した。と錯覚するほどの激痛が走った。会陰切開と裂傷と両方でズタボロになっていた部分に対して、準備していた控えめな穴の円座クッションでは全く役に立たなかった。

母乳は生産されているというのに、まさかのトラブルによって、自宅での初授乳はミルクだった。

手搾りで搾乳するにも太刀打ちができなさそうな張り。使わずに捨てるかもしれないと思っていた手動搾乳機を引っ張り出した。消毒すらしていなかったから、慌てて煮沸消毒をして使った。

立ったまま搾乳しながら、瓶に溜まる母乳を不思議な気持ちで見つめた。

 

出ないと思っていたし、実際に、産後すぐは出なかった。

同室のママさんたちは皆分泌はあるが授乳の痛みがつらいと嘆いていた。

真逆の悩みを持ったわたしは、大変ですねと眉根を寄せて、息子には出来るかぎりの明るい声で話しかけた。

つらいとは言わなかった。だって痛くない、出ないだけ。息子のお腹はミルクで満たされている。子が飢えないなら問題ないと思った。

でも、多分、本当は、申し訳なかった。

息子は出ない乳を吸わされても泣かない。空腹だというのに、ただのおしゃぶり状態の乳首を拒否すらしない。大人しくいじらしく吸っていた。

出ないことが苦しいというよりは、息子の腹を満たしてあげられないことが、こんな工程を飛ばして即ミルクを与えられないことが辛かった。

泣いて謝りたいと思っても、それをしてしまうと本気で気に病んで辛くなるのは分かっていたから、ヘラヘラと笑って「ごめんね」と言って誤魔化した。

ぴよログには指導通りに素直に左右10分吸わせた記録と「増減なし。出なかったっぽい」の文字がいくつも残っている。

どうしても母乳育児がしたくて、何日も何週も何ヶ月も頑張っている人がいる。そんな人たちの苦しさと比べたらあまりに些細だけど、それでも5日目に乳が覚醒するまでは、わたしは苦しかった。ずっと、いつ完全ミルク育児に切り替えるかとばかり考えていた。

 

5日間の気持ちの動きを忘れたくなくて、だらだらと3000文字以上も書いてしまった。

きっと、読み返す頃には今日より「母乳が出なかった頃の気持ち」を忘れてるだろうから。どうしても記しておきたかった。

オチはない。