第一次育児ノイローゼ期?を振り返る。

前回から一年近く間が空いてしまった。

というよりは、もはやブログの存在を忘れていた。

(正確にはときどき思い出していたけど、毎回ログインパスワードを忘れていた。iPhoneのパスワード保存機能に頼りすぎて脳が退化している)

 

ちょうど、前回の投稿の後ぐらいから、息子の動きが活発になりまくって、赤ちゃん向けの部屋作りなんて産んでから追々で大丈夫でしょ(鼻ホジ)と怠惰な妊娠生活をしていたツケが回って、なにひとつ赤ちゃんに適応していない家で発達目安をぶっちぎって伝い歩きとずりばいで徘徊する生後半年のふにゃふにゃの生き物を守ることに疲弊していた。

 

1年と4ヶ月ほど育児をしてみて、二度ほど育児ノイローゼか?というほどに精神を病んだ時期があった。どちらも、息子の成長に部屋作りが追い付かず片時も目が離せないという、ひどい緊張状態が原因だったと思う。

いや、目を離していい時も場合もないんだけど、危険物だらけの場所でアカチャンを守るという意識だけでもうしんどかった。とにかく精神を蝕む。そして、息子から目を離せない手も離せないという最中、安全を確保するための部屋作りをするということが、とにかくとにかく難易度が高かった。もう物理的に手が足りない。手が数本生えたところで体も足りない。旦那に任せるには時間も足りないし、まず常に家にいる自分と外に働きに出ている旦那とでは、危機感も知識も、切実さまでも、レベルが違う。

とりあえずで寝室にしていた和室から危険物を取り除いて過ごしてみたけど、テレビもパソコンもない部屋に赤子と二人でこもりっきり、旦那が帰宅しても設備の充実した別室でのんびりしているという生活に、かなり精神的に追い詰められていた。

和室には何もなかった。布団と赤ちゃん向けのおもちゃ、プレイジム、断固拒否されて存在意義を失ったベビーベッドぐらいしかなかった。娯楽や家具は全てしまいこむか別室に移動して、息子の手が届かないようにした。

もともと整理整頓も家具配置もインテリアも苦手なのに、さらに息子の安全という生命がかかった重大なことをやらなければいけないというプレッシャー。

そして、我が家の経済状況と住居プランの関係上、そこに割くコストは最低限である必要があった。第一次育児ノイローゼ期には、間取りが子育てに向いてなさすぎるが故に時期は未定だけど確実に引っ越さねばというアパートに住んでいた(実際、春には引越しをした)

いや無理ゲーでしょ。

年末、とうとう発狂して、ベビーサークルを購入してリビングにキッズスペースを作成。

ジョイントマットを敷いた上にビニールラグ&ベビーサークルという転倒対策やお手入れしやすさ重視で作って、なんとかかった費用は一万円以下だった。中古ショップとAmazonの処分品価格が最高だった。見た目は最悪にダサかったけど、そんなのは息子の安全とわたしの精神衛生の前には些細なことだった。

生活の自由度が上がって、とりあえずここにいてくれれば安全という場所が出来たことによって、精神的に追い詰められていた部分が格段に減った。ありがとうベビーサークル神。育児グッズの中で一番活躍してくれたのは間違いなくベビーサークル神。

ちなみに、その数ヶ月にはベビーサークルの結合部をぶっ壊して脱走するアカチャンという信じられない生き物に進化するのだけど、これはまた別途書きたい。

ベビーサークルは長く使えないという話も掃いて捨てるほど聞いたし、実際にその通りだったけど、結果的には第一次育児ノイローゼ時期にはベビーサークル導入してよかったと思っている。ベビーサークルがないと死んでいた。わたしが。

 

あと、もうひとつ。

同時期に戦っていた、どう考えても勝てる気がしない保活戦線も原因だったと思う。

0歳児入園の保活時には、わたしは在宅フリーランスの仕事あるなら何でもやりますエンジニアをしていたけど、そもそも生後半年のアカチャンを抱えての在宅仕事は割ける時間がなさすぎて、収入も労働時間も少なく、ステータス求職中のほうがまだポイントが高いという状態だった。

育児休暇中ならまだ戦えたのに。死ぬほど、それこそ本当に生活がかかっているから保育園に受からなければ死が近づく訳で、妊娠中に退職した自分と、退職せざるを得なかった会社を呪った。

ああ、これも長くなる予感がする。続きはまたゆっくり書こう。

結果的に、認可外保育所(企業主導型)に入園出来て、わたしは同業種でフルタイムで仕事復帰をして、息子は保育園エンジョイしまくり(保育園の洗礼も受けて病欠もしまくり)なフルタイム共働き家庭にステージチェンジしたんだけど、とにかく保活も精神を病んだ。

日本死ねといいたくなる気持ち、わかる。